チワワドラのテレビドラマの裏通りたち

「チワワドラのテレビドラマ愛好世界」の裏通り話を中心に記事を書いていこうと考えています。出来るだけ深い探求に迫れたらうれしいです。

稲垣浩パート2 時代劇1位巨匠がテレビドラマに残した膨大功績群

 

ドラのいつどこでも ドラマ展開超進撃 稲垣浩 時代劇1位巨匠がテレビドラマに残した膨大功績群を更新しました。

 

稲垣浩パート2 時代劇1位巨匠がテレビドラマに残した膨大功績群の開演です。

 


今回の表記事は、稲垣浩 渡辺邦男 佐々木康 月形龍之介 大殺陣!大会 昭和51年6月21日 渋谷公会堂 キネマと舞台構成による堂々六時間 旗本退屈男(1973) 伊藤大輔 宮本武蔵 ベストテン賞 映画製作会社 伝説の映画会社 映画スターの映画会社 阪東妻三郎 嵐寛寿郎 市川右太衛門 石本秀雄 佐伯清 長谷川一夫 衣笠貞之助 衣笠十四三 振津嵐峡 大河内傳次郎 曾我正史 千恵プロ 伊丹万作 鴛鴦旅日記 股旅時代劇 明朗時代劇 大トリはやはり片岡千恵蔵が主に登場しています。

 

できれば表だけで流れを完結させたかったため、やりたくありませんでしたが、下記は表の記事の続きです。表の記事は下記の前の流れとなり、上記のリンクから飛べます。

 

 

千恵蔵無双さらに大河内伝次郎阪東妻三郎の3大スターと成功 戦後は東宝時代劇映画のトップを牽引 名優の三船敏郎とコンビ






 

稲垣浩片岡千恵蔵との名コンビは事実上の無双状態でしたが、その間に大河内傳次郎(別字で大河内伝次郎)とのコンビでもいくつかの代表作を残し、1930年代後半からは剣戟スターとして苦しんでいた時期の阪東妻三郎(*3)とも現存版を含めれば10作を越す名コンビで剣戟を伴わない演技の形成に貢献し、5作を越す代表作。

 

戦後は戦前の大きな功績で東宝から巨匠の待遇を受けて、戦後の1950年代から1960年代の東宝時代劇映画のトップを牽引(*4)、特に日本歴代40位以下の主演80作弱の名優の三船敏郎(*5)と10作を越す名コンビを形成でも成功を収めました。

 

*1~2は記事の~公開しましたの上記リンクの表記事にあり。


(*3)阪東妻三郎はサレント映画からトーキー、つまり音声が付いた映画に移行時期に演技が対応できず、当時の評論家や映画ファンにサイレント時代の声の印象と異なり、声が高くて演技と合わずに批判を受けていました。


(*4)東宝の戦後の時代劇はトータルでは稲垣浩がトップでした。この事実をご存じない方も多いかと思います。マスメディアが今でも黒澤明を誇張ばかりをするからです。稲垣浩がトップの理由の一つは、下記の「戦後の稲垣浩黒澤明東宝のみの時代劇の監督数」の部分稲垣浩がトップからもわかります。

 

 

予定は反れてしまい次の投稿を予定しています。

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あの森繁久彌も片岡千恵蔵を大きく下回る現実を暴露投下 - 一直線女子の映画向上会




(*5)三船敏郎稲垣浩が歴代に主演で組んだ俳優では片岡千恵蔵に次ぐ2位、戦後にもっともコンビを組んだ俳優でした。ですが、海外でも活躍したレベルに至りません。彼はハリウッド映画にさえほとんど出ていないにですが驚くことにハリウッドに星が作られてしまいました。

 

これは大きな異常事態であり、日本映画界やハリウッド映画の大きな問題点です。三船敏郎の代表作数は主演数の割に多く、その時代なりに活躍した多くの中の一人ですが、日本では「歴代40位以下の主演数が80にも到達していない俳優であることも事実です。

 

 

 


ハリウッドで活躍した日本人は先人のアメリカで現実に助演俳優を中心として多くの映画に出演し、一時的に活躍した早川雪州のみです。ハリウッドは一時的に成功しましたが、早川雪州は日本においてはあまり活躍できませんでした。

 

 

大スターのハンフリー・ボガートと共演した早川雪洲による記念碑的映画

 

テレビドラマとは直接には関係ありませんが、芸能界という面ではのちのテレビドラマにも影響を与えた、名優の早川雪洲を名前が出たの少し取り上げます。

 

東京ジョー [DVD]

アメリカ映画の黄金期を代表する映画スターの一人、大スターのハンフリー・ボガートと共演した早川雪洲による記念碑的映画『東京ジョー』です。1949年に公開されました。早川雪洲1920年代から20年代にかけてアメリカで活躍したことが評価されて、この『東京ジョー』で共演の機会が生まれました。

 

   
   

 

世界の剣豪の宮本武蔵 片岡千恵蔵宮本武蔵稲垣浩を通じて与えた三船敏郎に与えた大きな影響

 

 

 

 

戦前の片岡千恵蔵宮本武蔵稲垣浩伊藤大輔とのオリジナルと現存版を含めた9作の名コンビ)の大ヒットの流れを大きく受けて、三船敏郎稲垣浩のコンビで戦後にヒットしたカラー初の宮本武蔵映画でした。

この1956年の『決闘巌流島』(三船敏郎稲垣浩版の宮本武蔵の3作目)の貴重なポスター、別題『宮本武蔵 完結篇 決闘巌流島』としても知られています。

 

1956年映画パンフレット 吉川英治・宮本武蔵より 決闘巌流島 稲垣浩・監督 三船敏郎 鶴田浩二 八千草薫 志村喬 岡田茉利子

 

ちなみにポスターの二人は宮本武蔵三船敏郎佐々木小次郎を演じた鶴田浩二

 

 

ちなみに稲垣浩宮本武蔵の戦前と戦後の大ヒットを通じて、その後の多くのテレビドラマの「宮本武蔵」題材の映像作品にも影響を与え続けています。これも真実です。

 

 

稲垣浩は現在でいえば余裕で文化勲章に該当する大巨匠

 


稲垣浩は現存作の断片などを含め監督数110作以上、脚本や原作の藤木弓稲垣浩の別名義、映画の脚本は80作近く、原作と製作が共に10作強、もっとも時代劇映画やテレビ時代劇などの映像作品で活躍した監督ともいえます。現在でいえば余裕で文化勲章に該当する大巨匠です。当時は映画監督に文化勲章を与える概念が存在しなかったので与えられませんでした。

 

賞のみで評価するのはもちろん違いますが、このクラスになると与えていないことが大きな問題ですが彼が悪いわけではありません、あえていうならばこの国が悪いということになり、この国が遅れていたのです。片岡千恵蔵(今からでも文化勲章国民栄誉賞も与えるべき膨大な功績を残した映画俳優)も同様ですが、稲垣浩も今から文化勲章を与えるべき大きな影響や足跡を残した人物の一人です。

 

 

あの森繁久彌片岡千恵蔵を大きく下回る現実 リンク↓ ↓

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