沢島忠「”映画界の天皇”とも言われていた」~歴代ヒットメーカーがドラマの監督をするの裏通り
ドラのいつどこでも ドラマ思想展開 歴代で最大のヒットメーカーがテレビドラマの監督をするを公開しました。
<歴代で最大のヒットメーカーがテレビドラマの監督をするの裏通り>
日本の映画とドラマの関係は切っても切り離せない関係が存在しています。
テレビドラマの形成には映画界の巨匠の影響だけではなく、直接的な関わりがありました。
<沢島忠「”映画界の天皇”とも言われていた」~歴代ヒットメーカーがドラマの監督をするの裏通り>
渡辺邦男という人物は、日本映画の歴代でもナンバーワンとも言われるほどの早撮りの名手と知られています。
渡辺邦男のその戦前と戦後を通じ日本映画へのヒット作を数十作も生み出した貢献から、「”映画界の天皇”とも言われていた」と2016年で90歳の沢島忠がインタビュー番組で話していました。
現実に天皇と戦争を絡めた大作映画「明治天皇と日露大戦争」(1957)を大ヒットさせたことも天皇と言われた理由の一つだったのかもしれません。
東映の元監督として1950年代の後半から1970年代の前半にかけて映画監督として活躍した沢島忠は渡辺邦男やマキノ雅弘、松田定次などの3大巨匠の助監督を経て、東映やそれ以後も含めて美空ひばりや中村錦之助(のちの萬屋錦之介)などの主演、出演作の代表作をを多く手がけた巨匠です。
<沢島忠によると渡辺邦男は「すぐ撮った」と映画界の天皇の謎>
沢島忠によると渡辺邦男は「すぐ撮った」と話していました。どのようにすぐ撮るのかが伝わらない部分はありましたが、言葉では説明できない凄みがあったのではないかと考えています。
渡辺邦男のこうした映画時代の早撮りの能力がテレビドラマにも反映されたことは言うまでもありません。
現実に天皇と戦争を絡めた大作映画「明治天皇と日露大戦争」(1957)を観客動員2000万人を越す大ヒットさせたことも天皇と言われた理由の一つだったのかもしれません。
上記は(明治天皇と日露大戦争)
渡辺邦男のこうした映画時代の早撮りの能力がテレビドラマにも反映されたことは言うまでもありません。
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