ドラのいつどこでも ドラマ思想展開の裏通り

「ドラのいつどこでも ドラマ思想展開」の裏話を中心に記事を書いていこうと考えています。出来るだけ深い探求に迫れたらウレシイです。

坂本龍馬や近藤勇などの有名題材に挑んだ傷だらけの阪東妻三郎

 

ドラのいつどこでも ドラマ思想展開 美空ひばりの大ヒット曲・柔のドラマと名作ドラマ・天皇の世紀をつなぐ丹下左膳を公開いたしました。

 

 

本当はドラマの流れをそのまま取り上げたいのですが、3社を取り上げる流れが続いていますので、区切りとして今回まで、前々回・片岡千恵蔵、前回・嵐寛寿郎と来ており、今回も流れとしてスター映画会社のことを取り上げます。

 

 

阪東妻三郎阪妻プロ 阪東妻三郎プロダクション>

 

製作本数は通産で150作以上を越すが、主演は95作強、尾上松之助の流れを引き継いだ大衆的な剣戟な自分の個性を定着させました。時代劇の名匠・二川文太郎とコンビを組んだ1925「雄呂血」はある意味の確立作ともいえます。また、1925「魔保露詩」(まほろし)など当て字の悲壮美もの映画の代表作もいくつか残しました。

 

 

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個人プロの草分けとしての功績がもっとも大きく、通産と主演数が大きく食い違う点は、自分だけではなく、別の主演俳優を生み出そうとチャンスを与える(トータルでは阪東妻三郎の意思ではない)などの幅広い挑戦を行ったためでした。

 

代表作数は千恵プロや寛プロよりも少なく、当時の評論家の評価も片岡千恵蔵の千恵プロのキネマ旬報や他のベストテンのランクインの計17作品と比べると格段に劣るものでした。95作以上のの主演数の割には代表作が少なかった事実は否めません。

 

 *当時のキネマ旬報や他のベストテンは基本的に現代劇が中心であり、膨大な数が作られていた時代劇映画では、事実上のベスト1~3に収まるほどの高い評価でした。

WIKIでは阪妻プロは130作となっていますが大きな間違いです。

 

 

<日本人が共感する傷だらけの阪東妻三郎の真実>


多くの問題点がありました。大きな人材の輩出はなく、巨匠とのコンビはなく、アメリカのユニバーサル映画と一時的に関連を持つが破綻のトラブル、大まかな配給元の松竹が阪妻プロを通じて、直接な映画製作に俳優や意思を反映させるなど、事実上の松竹による阪妻プロの乗っ取りともいえる行動で介入してきたため、阪東妻三郎らと衝突して大きなトラブルが生じたことでも知られています。その後、松竹と裁判沙汰になったとも記録が残されており、手を切ったことでも知られています。

 

阪妻プロの社名のほかにも阪妻プロ太奏、阪妻・立花・ユニヴァーサル聯合映画などと名称を変更や撮影所を移動したりして、映画製作している時期もありました。また、トーキー(音声付き)作品が作られ始めた時、阪東妻三郎のその声の高さが威厳がなく、悪い意味での話題となってファン離れが進み、自身の人気や支持も急落をもたらししました。

 

人気は日活や大映時代の1930年代の後半から40年代の時期に独自な喉を潰した演技を形成して再び回復していくものの、その後は再び功績は残しましたが多くのトラブルや災難に見舞われた最長11年の個人プロ時代でした。阪東妻三郎再帰したことの”傷だらけの魅力”があり、日本人はそれも共感を感じるのかもしれません。

 

 

今後、阪妻プロに関しても細かい部分の映画の方で取り上げることもあると考えています。

 

 

阪東妻三郎とドラマ時代劇

 

ドラマへの影響は死相美ものの影響はあるかと思います。死相美は長谷川一夫も牽引しましたが、男を押し出した阪東妻三郎と男の弱さを中心に展開した長谷川一夫の死相美ものには大きな違いがありました。

 

阪東妻三郎といえば剣戟ですが、剣戟中心のドラマは基本存在していません。影響も七剣聖(時代劇6大スター+月形龍之介)という言葉が残されているように、他の大スターなどと同様に近い影響を後世へ与えているため、彼の功績だけで剣戟を語ることは間違えです。

 

 

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 阪東妻三郎の1925「雄呂血」は、市川雷蔵によって戦後のリメイク作が作られました。

 

阪妻プロ・阪東妻三郎とドラマ時代への影響>

 

阪東妻三郎坂本龍馬は、1928「坂本龍馬」(通産で4度演じる1度目)、近藤勇は1926「乱闘の巷」、1929「新撰組隊長近藤勇 第一篇」や第二篇」や1933「剣士桂小五郎」でも近藤勇を演じています。4度の近藤勇を個人プロ時代に演じていました。

 

また、1927「鼠小僧次郎吉」では鼠小僧次郎吉、1931.「月形半平太」では月形半平太、1928「喧嘩安兵衛」でも中山安兵衛を演じており、有名題材を後世に引継ぎことも行いました。それぞれがドラマでも映像化されている作品であり、ある程度のある程度の影響は存在しています。